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【歴史】宇喜多直家は梟雄か

 宇喜多直家は梟雄か

みなさんこんにちはー。
サムです。

今回は、このサイトでも何度か取り上げている乱世の梟雄と言われる、
宇喜多直家について再度考察していきたいと思います。

【 梟雄とはなにか 】


コトバンクによると、梟雄とは、

〘名〙 (「」は強くあらあらしいの意) 残忍で勇猛であること。あらあらしくて強いこと。また、そのような人。主として、悪者などの首領かしらをいう。

とのこと。何故「フクロウ」かというと、フクロウは親鳥が雛鳥を食べるという迷信があったからだそうです。


フクロウ、とんだとばっちりやな!





【 直家の悪評 】

宇喜多直家は、現代において知名度は高いとはいいがたいものの、
歴史好きにはかなりの「悪」だと認識されていると思っています。

ここで直家の罪状を確認してみましょう。

・主家を滅亡させた
・舅を殺害した
・娘の嫁ぎ先を娘もろとも滅ぼした
・三村家親を暗殺した
・宇垣何某を暗殺した
・金光宗高を謀殺した

などなど。

それでは、考えうる限りの直家弁護をしてまいりましょう(笑)

・主家を滅亡させた

これは梟雄説の根拠にならないですよね。
これをいうなら、織田信長も主筋である斯波氏を滅亡させてますし、
明智光秀に至っては、その信長にクーデター起こしていますからね。

直家の盟主である浦上家も、本来の上席である赤松家を追い落としていますから。

当時の時代感覚でいうと、「頼りにならない上司は追い落とさないと自分が危ない」
んで、これはやむをえないと思います。

ゆえに、これは直家梟雄説の証拠とはなりません。
むしろ、これをもって梟雄というのなら戦国武将のだいたいは梟雄ですなw

・舅を殺害した

これ、非常に有名な話なんですが、最近の説によると中山備中守(と島村盛貫)はむしろ浦上氏の政治状況の変化に伴って消された説が強いようです。

そもそも、舅暗殺は備前軍記に掲載されているのですが、この備前軍記はかなりの曲者でして、中山備中守の名前すら「勝政」を「信正としているので、この直家による「舅暗殺」も相当アヤシイもんですよ。

仮に、舅を暗殺したとしましょう。
ですが、身内を手にかける・・・そんな例はざらにあります。
実父を殺す、実弟を殺す。
血のつながった身内ですら手にかける戦国時代。ましてや血のつながりのない舅であれば、
不思議はありません。(怖ええ話ではあるけどもw)

ゆえにこれも梟雄説の証拠足りえません。


・娘の嫁ぎ先を娘もろとも滅ぼした

これは、わたしも不思議に思っていたのですが、
「直家は娘の嫁ぎ先を滅ぼす」という悪評が、当時もたっていたとしたら、
誰が好き好んでこの人の娘を迎え入れるでしょうか?


絶対、次の標的は俺やな・・・((((;゚Д゚))))ガクガク



こう思って受け入れないのが通常ではないでしょうか(笑)

わたしも、もし妻の実家が「嫁ぎ先を滅ぼす」なんて噂があったら、
怖くて嫁にもらえませんよw

直家の子供は女の子が多いです。
なんとその数、


7人


多っ!Σ(・□・;)
でも、男児には恵まれず秀家のみです。


では直家の娘たちの、嫁ぎ先をみてみましょう。
直家が侵攻するなどして滅亡した家は×をつけています。

江原親次・・・〇
浦上宗辰・・・△(存在が疑問視)
松田元賢・・・×
吉川広家・・・〇
後藤勝基・・・×
斎村政広(赤松広秀・・・〇
明石全登・・・〇
豊臣秀吉養女・・・〇

ということで、多くとも3/7、存在が微妙とされる者を除けば2/7です。
これは印象操作といってもいいでしょう。

当時の戦国大名の娘といえば、政略結婚と相場(?)は決まっていましたから、
直家の娘が周辺の豪族に嫁ぐことは何ら不思議がありませんし、
当時の備前、備中、美作、播磨といえば、毛利・織田の戦場となった地。

敵味方が入れ替わることも頻繁でした。
そのため、娘を嫁がせたのちに政局が変化し、敵にとなり止むを得ず攻め込むことは十分にありえます。

そもそも、7人娘がいて攻めたのは2人なのですからむしろ少ない(笑)
これも論拠足りえないですね。



・数々の武将たちを暗殺した

んー。
これはどうなんでしょうか。
確かに暗殺している回数は多いのですが、直家は暗殺だけではなく正面からぶつかった
「明善寺合戦」や「上月城の戦い」、宇喜多家の後継ぎとなっていた宇喜多基家が戦死した「八浜合戦」などなど、通常の(?)合戦も数多くこなしています。

確かに暗殺という手段を多用していたとはいえ、暗殺や謀殺は戦国の日常茶飯事。
それをもって「直家が梟雄である」ことの決め手とは言えないですね。



【 まとめ 】

以上、直家弁護を展開してみましたが、やはり直家は「梟雄」というには、
ちと論拠に乏しいのではないでしょうか。

むしろ、明らかな点では直家は家臣を大切に扱ったといいます。
異母弟である忠家が天寿を全うしたこと、暗殺に用いた家臣を口封じすることなく重用したこと・・・などなど。

関ヶ原の敗戦で宇喜多家は、徳川の敵となりその領地を失います。
のちに岡山を治めた小早川、池田にとって宇喜多の治世、ひいては直家の人格が悪いほうが好都合でもあったでしょう。

宇喜多の良かった点は消し去られ、悪評のみがことさら強調されたとみるべきでしょう。
ちょっと太平洋戦争にやぶれたかつての日本のようですね。

400年以上たった今、宇喜多家の功績が顧みられてもいいのはないかとサムは思います。















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