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◆暗殺もするけど民思い
宇喜多直家は、1529年に今の岡山市に生まれた。1581年にこの世を去るまでに、様々な権謀術数の限りを尽くしたため、「中国三大謀将」とか「三大梟雄」とか言われている。
かと思えば、城下町岡山の発展に大きく貢献したり民政に力を入れている側面もある。
彼の人生はどんなものだったのだろうか。
信長の野望 より |
祖父、能家が暗殺さる
直家が3歳のとき、浦上氏の有能な家臣であった祖父、能家がライバル家臣、島村盛実に城を奇襲され、殺されてしまう。(自刃)
その際に、直家の父、興家は幼少の直家を連れて城を落ち延び、以後放浪の日々を送ることになる。
・・ってあれ?直家のかーちゃんは??
しかも、この時、すでに家督は興家に移っており、城主が城を捨てて(しかも父親と妻を置いて)逃げたということになる。
父ちゃん、ちょっとひどいよなあ・・・。
ともあれ、苦労の多い幼少時代であったのだろうことは確か。
父と子はなんと、鞆の浦(広島県福山市) まで逃げ、そこで興家は豪商、阿部義定の娘と結ばれ、忠家、春家が生まれている。
つまり、直家と忠家、春家は異母兄弟ということになる。
そして、1536年(一説には1540年とも)に父興家は死亡。
このとき、直家はたった8歳である。
どのような幼少期を鞆の浦で送ったのであろうか・・・。
砥石城跡 Wikipediaより |
成人し、祖父の仇を討つ
成人した直家は、再び浦上宗景に仕官することとなる。
宗景
「備後からよく戻ってこれたね!!
昔のことは水に流して、仲良くやってくれよ!」 (''ω'')ノ
ってな具合だったのだろうか
このあたり、直家がどうやって就職活動を行っていたのか、非常に気になるところ。なんせ、家中では祖父を殺した島村盛実が浦上氏の家臣として権勢をふるっていたのある。成人してからとあるから、十五歳くらいで戻ってきていたのだろう。
というか、わしならもう備後で就職するなあ・・・。
わざわざ戻るのって、また状況が1からやりなおしになるし。
ところで、盛実は警戒しなかったのだろうか??
普通、祖父を死に追いやっちゃったら、その孫が来たら敵討ちに警戒するんじゃないかなあと思うけど。
・・・とおもったのも束の間。(15年くらいたってる)
盛実は直家によって謀反の疑いをかけられ、おびき寄せられて殺されてしまう。
なんでや!なんで、のこのこ誘われたんや!!(# ゚Д゚)
警戒心ゼロなんだろうか。それとも、直家の謀略の力が他を圧倒するほどであったのだろうか。
いや、有力な家臣であったほどの男がそんなヘマするだろうか。
切れる直家のことだ。就職してから苦節15年。
忠臣であるふりをし続けてきたのだろう。主君や盛実の警戒が薄れるほどに。
そして、その時がやってきたのである。
研ぎあげた牙を使うときが!!!
どんな感じでやったのか詳細は分からないが、とにかく島村盛実は死に、ここから直家の謀略劇が始まるのである。
このとき、宇喜多直家30歳である。
まだまだこれからの30歳。末恐ろしいぞ。。。
謀殺、暗殺、なんでもござれ
1559年、30歳で島村盛実を謀殺すると、同年、舅の中山信正にまたしても謀反の疑いをかけ、謀殺。えーと・・・。 しゅうと、しゅうと・・・φ(..)
( ゚д゚)ハッ!
妻の実家である。
あのー、疑問に思うんですが、どうして主君の浦上宗景はこうも自分の家臣の謀反を疑うんでしょうか?? (。´・ω・)?
有能な家臣を失えば失うほど、勢力は衰えちゃう気がするんだけど。
宗景が直家の意見をすんなりと受け入れてしまうほど、このときの直家は高い地位を確立していたのだろう。
さらに二年後、1561年、敵対する松田氏の有力な家臣であった税所元常をハニートラップによって暗殺。
どうやら元常さんは男色がお好みだったらしく、ここに目を付けた直家は小姓の岡清三郎に河原で笛を吹かせたりして、元常の眼に止まるように仕向けたようである。
家臣
「あれは怪しいですぞ!殿、やめときなはれ!!」
というのも聞かずに、元常さんは清三郎にすっかり惚れてしまう。
そして・・・
気を抜いて清三郎とふたりきりのときに寝込んでしまい、自分の脇差によって首を切り取られる。
:(;゙゚'ω゚'):ギュム
文字どおり、寝首を掻かれたのである。
己の脇差によって・・・。
その首は、清三郎によって直家のもとに届けられたという。
そのときの直家は、どんな表情で届けられた首を検分したのだろうか。
そして、極めつけは、日本で最初(といわれる)の鉄砲による要人暗殺である。
それは1566年、直家37歳のことであった。
直家らが統治する備前国の隣の備中国には三村家という大名がおり、浦上氏(宇喜多)とも度々抗争を繰り広げていた。
ところが・・・
当主である三村家親は勇猛な武将であったが、直家を攻める際に美作国に滞在中、直家の放った刺客、遠藤兄弟によって短筒によって暗殺されてしまう。
・・・((((;゚Д゚))))
恐るべきは直家の知略である。
おわかりだろうか。
ターゲットによって暗殺の方法を変えているのだ。
おそらく、事前に周到な調査や計略を用いて情報を収集していたにちがいない。謀略による上意討ち、不意打ち、ハニートラップ、ヒットマンによる狙撃・・・ありとあらゆる手法が駆使されている。
これは、相手からすると防ぐことが難しいのではないだろうか。
防ぐとすれば、身の回りのすべてを疑わねばならない。
こんなんいずれ鬱になるわ!!
そして、一転、直家は暗殺されていない。これは強固な家臣団の形成や情報網の確立に成功していたからではないだろうか。
ともあれ、宇喜多直家、おそるべき男である。
後編につづく
参考:名将言行録
Wikipedia
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