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about Hagi

◆Hagi city

Hagi Historical District

In the medieval period, Hagi was dominated by the Yoshimi clan, who built Hagi Castle, the ruins of which can be visited today. The Mōri clan became daimyōs of Chōshū Domain at the beginning of the Edo period and built Hagi Castle at the foot of Mt. Shizuki in 1608.  Since then, Hagi developed as the political center of Chōshū for over 250 years.
When the Meiji Restoration came about in the 1860s, as the result of efforts by samurai from Chōshū and a number of other domains, this small city gained great historical significance. Many Japanese statesmen and Prime Ministers were born and brought up in this city.



中世、萩城を建てた吉見氏によって支配されていた。
(なお、この萩城も破却されており、残念ながら今日においては跡しか残っていない。)
関ヶ原の戦い以降、江戸時代の初めより毛利氏が長州藩主として萩に入り、1608年に指月山に萩城を構えた。
この時より、萩は長州藩の城下町として江戸時代が終わるまで250年間繁栄した。
長州、薩摩、土佐の侍を中心とした明治維新が1860年後半に起き、以降この小さな街から多くの総理大臣等、社会的地位の高い人物がでた。





萩市にある城下町は江戸時代の区割りがそのまま残っており、大戦中の被害もほとんどないことから多くの武家屋敷が残っている。
火に強くない日本家屋がいまなお残っていることは驚嘆である。

ここ萩では、伊藤博文や高杉晋作、木戸孝允、吉田松陰などなど、幕末に活躍した長州藩士のそうそうたるメンバーの生家が残っていて、実際にあるいてみると相当なご近所さんだったのだということがわかる。

伊藤博文の家から松下村塾は相当に近いが、高杉や木戸の家は結構距離があるなあという感じだ。

この感じを実際に歩いて実感できたのは、とてもよかった。


幕末好きで維新志士がお好きなかたは是非。
(新選組や会津藩ファンで長州憎しのかたはおやめくださいw)

藩の重臣クラスは堀内を呼ばれる地区に屋敷を構えており、900坪とかいまでは考えられないくらい広大な敷地を誇っていたようである。

残念ながら建物の多くは明治以降取り壊されており、夏ミカンの畑になってしまったようだ。そのため、漆喰塀や石垣しか残っていないところも多々あった。これだけ広大な敷地を維持管理するのは、さすがに今となっては大変なのであろう。


当時、毛利家は関ヶ原の戦いで西軍に属していたため、中国地方五カ国の太守から、大幅に領地を削減されてしまっていた。
当然、お互いに仮想敵と思っていたであろう、街には防御機構も施されており、高い塀や「鍵曲がり」(かいまがり)とよばれる通路がジグザグになっており直進できない構造となっておるところが何か所かあった。


でもなぜか、この防御機構は端っこのほうにあったので両方徒歩でいくのは大変だった。






夏ミカンの季節である


長州、薩摩と維新回天の中心となったのは、関ヶ原で両方西軍についた軍勢である。(ちなみに両方とも消極的に参加。※島津義弘を除く)
関ヶ原から250年の時を経て「徳川倒すべし」と立ち上がったのは歴史の因縁の強さだろうか。


そんなことを考えながら買ってきた夏ミカンをたべる今日この頃である。


次はもっとじっくり回りたい。


菊屋家住宅





菊屋家は、慶長9年(1604年)、毛利輝元の萩入国に伴い


山口から萩に移り、城下の町づくりに尽力して呉服屋町に屋敷を拝領した。

その後、藩の御用商人となり繁栄した。

屋敷は、たびたび江戸幕府の役人の宿となるなど、藩の政治に深く関わってきたため、藩の御用屋敷として体面に配慮し、屋敷の維持に努力してきたことから、全国でも最も古い町屋のひとつとなっている。

 







広大な敷地には非常に美しい日本庭園がある。
庭園のそばには伊藤博文公が増築した家屋もあり、如何に菊屋家が長州で重要な地位を占めていたか偲ばれる。

塩田開発で財をなした豪商の邸宅は何件か見てきたが、御用商人は初めてだった。庭園の管理の良さに驚きである。この庭は予約制らしいので、見学される方は連絡をしておいたほうがいいだろう。

この日はたまたま外国からのクルーズ船が到着しており解放されていたので見せてもらえた。ラッキー!










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